近藤あきとしのストーリー ~その2~

こんにちは
近藤です

「近藤あきとしのストーリー ~その1~」 に続き、~その2~ をお送りします。

2,~どん底のひきこもり生活~

不安を抱えながら大学病院へ到着し精神科へ行ってみると、そこはごく普通の診察室でした。

当時の私は精神科に対して少々偏ったイメージを持っていましたので、あまりに普通の様子に少し拍子抜けしたのを覚えています。

受付で問診票を渡され、うつ関連サイトで試したセルフチェックに似たテスト用紙ももらい、細かな設問を何十問に渡って記入していきました。

受付に提出すると看護師さんに「4時間ほどお待ちいただきますので、昼食をとってこられてはいかがですか?」と言われ、仕方なく病院の外をしばらく歩き時間を潰そうとファミレスに入ったのです。

そしてこの時に気がついたのですが、私の味覚は物を食べてもその味を感じられなくなっていたのです。

肉も野菜も白米も何を口にしても、砂を食べているような虚しさしかありません。

当然食欲も全く湧きません。この頃は自分の体の変調に気づくたびに目の前が暗くなるばかりでした。

そうして待つこと4時間半でようやく診察室へ。

話すのもしんどい状態でしたが、20分ほど先生と話した上で診断としては、

  • 既に抑うつ状態の初期段階を過ぎていて中程度になっている。
  • とにかく休養が必要なので、すぐに会社は休んだ方が良い。

とのことでした。

目の前で一ヶ月半の療養が必要との診断書を書いてもらい、今度はその脚で職場へ向かいました。そんな長期の休みなんて言って大丈夫かな?と思いながらも上司に相談したところ、

「仕事のことは考えなくて良いから、ゆっくり休みなさい」

という、意外と言っては失礼ですが、暖かい言葉をいただき即休養となりました。

***

その日から休養に入ったものの、休日といえるような楽な日々ではありませんでした。

仕事に行かなくて良いのは少し楽に感じたものの、何もしていないことの罪悪感が日増しに高まっていくので、気持ちは休まるものではありませんでした。

それでも処方された薬を飲みつつ、仕事をしない生活に慣れていくと余裕も出来、少しだけ前を向く気持ちが出てきたことで、なんとか職場に戻れるかもしれないと期待が持ててきたのです。

45日間の休養を終えて職場に復帰した当初は、仕事の質量ともに思い切り減らされて身体は楽だったものの、周りからあからさまに気を使われているのが分かってしまい非常に心苦しい気持ちでした。

どこか腫れ物に触るような対応にも、なんだか申し訳ないような気持ちで一杯になってしまいました。

なんとか早く以前のように(この考え方が既に誤っていたのですが)仕事をして評価を取り戻さないと、と思い始めると、主治医の先生と話していた「最初はゆっくりと自分のペースの半分くらいで仕事をしていきましょう」という会話もどこかへ飛んで行ってしまいました。

回復しきっていない状態で気持ちだけ前のめりになり、仕事をこなそうとした結果今度は3ヶ月でダウンしてしまったのです。

そして病院での診断は以前よりも悪い状態と言われ、さらに1年以上の休養に入ることになってしまいました。

***

この頃から1年ほどの時期が、最も酷い状態だったように思います。

  • 頭に霞がかかったように考えが定まらず、孫悟空の頭にある輪が自分にも嵌っているように感じて、24時間ずっとその輪にグイグイと締め付けられてるような痛みが襲ってくるようになりました。
  • 身体に鉛が詰めこまれたような重たさを感じるようになり、さらに筋肉痛のように痛みが出て、それが眠れないほど辛い時もありました。フラフラとしてまともに立てなくなり、壁に寄りかかりながらでないと歩けなくなってしまい、トイレなどには這うようにして行くしかありませんでした。
  • 右の物を左に動かすことすら面倒に感じてしまい、普段ならサッとすぐにやれることも全く出来ないので、そんな自分に失望することばかりでした。そして何故だか分からないけど涙がずっと流れている状態でした。

寝ていることしか出来ないのです。だからほとんど部屋にこもりきりの状態でした。

昼夜は逆転した生活になり、食事もほとんど取れず、同じ家に住みながら家族と顔を合わせることもほとんど無くなりました。

テレビは全く見られなくなり、好きだったお笑い番組も受け付けられなくなりました。

自分が笑えないので、何を見ていても辛いだけでした。

活字もほとんど読めなくなってしまいました。字を見ると頭が痛くなってしまうので新聞も雑誌も小説も手に取ることすらできません。

救いだったのは、かろうじて漫画は読めたこととインターネットが少しの時間出来たことでした。

この頃には幻聴も聴こえていたようでした。

両耳のすぐ脇に人の口があって、何を言っているのか聞き取れないほどの大声で怒鳴られているのがずっと聴こえていたのですが、それを変だとは思えないくらい酷い精神状態でしたので、後に回復してきてから、そういえばアレが聴こえないなと感じて、ようやく幻聴だったのかと気づいたほどでした。

寝ることしかできません。息をするのも辛どいです。24時間自分を責め続けています。

うつ病は自分を責める、自己攻撃が止まらない病気なのだと私は思います。

無意識のうちに自分を責めることに夢中になっているので、他のことには気が回りません。

だからテレビを見ても笑えません。食事をしても砂の味しかしません。

風景は白黒にしか見えません。車も電車も乗れませんし、人ごみにも近づけません。

身なりなんて気にしてられません。風呂に入ることも忘れてしまいます。

こんな自分は誰にも見せられないので、誰にも会えないしメールも電話も出来ません。

***

こんなに苦しいのなら死んだら楽になるのかと思って、命を絶つことは何度も考えたのですが、それを実行する気力すら無いのです。

その事に気づいた時は、もう情けないという気持ちすら通り越して、何の感情も湧かなかったことを覚えています。ただ生きたまま死んでいるようなものでした。

それでも自分に出来たことと言えば、とにかく刃物とロープ状のモノを引出しや戸棚にしまい込んでおく事くらいでした。見てしまったら衝動的に実行してしまいそうで怖い、という気持ちがまだあったんですね。

心がまるで折り紙のように二つ折り四つ折りと、繰り返し半分に折られるように心の世界がどんどん小さくなっていったような感覚でした。

心の世界が小さくなると、自分の存在できる世界もそれに連れて小さくなっていくようでした。

だからGWにドライブに出かけようとした時も、遠くへ行けなかったのでしょう。

まるで目に見えない壁があるように、ここから向こうへ行けないと感じるのです。

本来は行く先や目的地に先に心が飛んでいるからこそ、そこへ行こうと行動が出来るものなのでしょうが、心が折りたたまれてパタパタと小さくなっていくと、自分が動ける範囲も、それに連れて次第に狭くなっていくのです。

最初は私の住む市内から外へ出られない感覚が出てきました。

その範囲が次第に狭くなって行き、次は区内から出られなくなり、町内になり、そして家の中になり、最後は自分の部屋の布団の中だけが、私の世界の全てになっていました。

こんな状況が半年以上も続いた頃、どうにかして少しでも楽になりたかったので病院の診療にプラスして、セカンドオピニオンとして頼れる所を探すことを考えるようになっていました。

動かない頭と体でしたが少しずつ調べるうちに、以前カウンセリングというものをインターネットで知ったことを思い出したのです。

…(その3)に続きます。

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