自分を認められないとき、愛せていないときというのは、何も受け取れないときなんですね。
周りからどんなに優しい言葉をかけられても受け取れませんし、どんなに恵まれた場所にいてもそのことに気づけません。
気づいた所で受け取れない罪悪感から、その恵みを全部払いのけてしまうこともあるでしょう。
その後でしてしまったことで自分を責めてさらに苦しむこともあるでしょう。
その苦しみから逃れるには、自分の生きる社会・人間関係すべてから逃げて一人になるか、反逆児となって周りを傷つけ、拒絶し、すべてを遠ざけて一人になるかしかないような気持ちになることもあります。
でも、それを実際に実行する人はほとんどいないんですよね。
ただその代わりに、心の中がそんな酷い状態になっていることなら良くあるような気がしませんか?
そしてたまに、どうにかその苦しい状況から抜け出したくて、人に優しくしてみたり、与えることをやってみたりもしますよね。
それで一時的にラクになったとしても、その後には「あなたたちは私に優しくされて良い気分かもしれないけど、私のことはいったい誰が認めてくれるの?」なんて思うこともあったかもしれませんね。
本当にいったい誰が認めて愛してくれるのでしょうか?
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自分が大嫌い、愛せるはずがないと思っている人は、自分がこの世に生きていることを許せないものです。
人間の生命というものが、かけがえがなく尊いものということが誰よりも分かるだけに、その素晴らしい恩恵を自分が受け取ってはいけないと思っているのです。
そのままの自分を愛しましょう、大切にしましょうと誰かに言われても、自分のために良いことをすることが、とてつもなく我がままで、自分勝手な人間になってしまう気がしたりするものです。
ただ、それでも自分を受け入れ認めることの出来る人はあなた以外にはいないのです。
自分を愛せるということは誰も代わりにすることのできない、あなた一人に与えられた特別な力と思ってみませんか?
それはつまりあなただけのオリジナルの愛し方があるということ。
今すぐには信じられなくてもいいので、その力があるということだけは、どうか覚えておいて欲しいのです。
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自分を愛せなかった人にだけ見える希望があると、私は信じています。
誰も愛せなかった人が絶望という暗闇を生きてきたからこそ、そこから抜け出たときには、すべての生命を愛せる人になる、そんな光を見つけられるのではないかという気がしています。