心理カウンセラーの近藤あきとしです
いつもありがとうございます。
ミラノ・コルティナ冬季五輪。
氷上で輝く金メダリスト、アリサ・リュウ選手の姿に、多くの人が心を震わせました。
※アリサ選手については先月こんな記事も書きました。

しかし彼女が手にした金メダルの重みは、技術の習熟や身体的なトレーニングの成果だけに宿っているわけではないのかもしれません。
一度は「もう限界だ」と感じて手放した自分の人生を、もう一度自分の手に取り戻し、「これを引き受けて生きていく」と決めたプロセスそのものが、あの輝きに結実したのではないかと、私は感じています。
心理カウンセラーとして20年以上、多くの方の人生の岐路に立ち会ってきた私の視点から、彼女の物語を通じて「自分では決められなかった運命を、自ら選んだものとして捉え直す」という考え方について、深く掘り下げてみたいと思います。
「他者の物語」から「自分の物語」へ
アリサ・リュウ選手が一度目の引退を決意したとき、彼女の心は限界を超えていたといいます。親やコーチが敷いたレール、過密なスケジュール、そして「期待」という名の無言の圧力。そこに、彼女自身の「意志」が入り込む余地は、ほとんどなかったと言われます。
彼女はこう語っています。
「リンクは、あまりにも長い間、私の居場所でした…でも、私には選ぶ自由がありませんでした」
心理学の世界では、これを「自己決定感の喪失」と呼びます。私たちは、自分の行動を自分の主体性で選択できていると感じるときに、はじめて幸福感や充実感を抱くことができます。
逆にどれほど華々しい成果を上げていても、それが「誰かにやらされていること」であれば、心は少しずつ摩耗し、やがて空虚感に支配されてしまいます。
彼女にとってのスケートは、いつの間にか「自分を表現する手段」ではなく「他者の要求に応えるための義務」になっていたようです。
彼女が失っていたのは、技術でも体力でもなく、“これは自分の人生だ“という感覚そのものだったのかもしれません。
しかし、彼女の素晴らしいところは、一度完全にスケート界を離れたあと、自らの意思で氷上に戻ることを選んだ点にあります。再起にあたって連絡を取ったコーチに、彼女はこう伝えたそうです。
「今回は自分のルールでやります。振り付けも音楽も、自分で決めます。誰にも、私が何をすべきか指示はさせません。」
この言葉、単なるわがままに聞こえるかもしれませんが、そうではないんです。ここに込められているのは「何をするか」以上に「誰がそれを決めるか」を、自分自身の手でしっかり握って放さないという意志。彼女の言葉は、人生の主導権を完全に取り戻すという、静かで力強い決意表明だったと私には感じられます。
「配られたカード」を引き受ける覚悟
彼女の背景には、複雑な家庭環境や生い立ちという、自分ではどうにもできない要素もありました。私たちは誰しも、生まれてくる国、親、性別、身体的な特徴、時代背景を自分で選ぶことはできません。これらは人生において「与えられた前提条件」と言えます。
「なぜ私だけがこんな境遇なのか」と嘆き、被害者的な立場で生きることも一つの道かもしれません。しかしアリサ・リュウ選手がインタビューで語った次の言葉は、そこを超えた場所にある眺めを見せてくれます。
「私は自分の物語や芸術、創造のプロセスを共有するのが好き。ミスをしても、それらが失われるわけじゃない。それでも何かが残る。悪い物語もやはり物語であり、それは美しいと思うから」
この考え方は、心理療法における「統合」のプロセスに通じるものがあります。「なぜ私だけが」という問いを超え、「この境遇だからこそ、自分にしかできない表現がある」とパラダイム(考え方の枠組み)を転換していく。それは過去を変えることではなく、「過去の意味」を今この瞬間に書き換える作業です。
オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルが説いたように、どれほど不自由な状況に置かれても、「その状況にどう向き合うか」という精神の自由だけは誰にも奪えません。自分では決められなかった不条理を「自分が選んだもの」として引き受ける。一見すると酷な発想に見えるかもしれませんが、これこそが人間に与えられた本質的な自由ではないかと、私は思っています。
「自由な表現」が放つ、癒しのエネルギー
自らの人生を引き受けた彼女の演技が、なぜあれほどまでに人々の感情を揺さぶったのでしょうか。
「周りの人たちに強い感情を感じてほしい」という彼女の願い。そこには、技術を誇示するという次元をはるかに超えた、「自己開示」のエネルギーが宿っていました。
自分を縛っていたもの、苦しみ、葛藤…それらをすべて飲み込んだうえで「これが私だ」と氷上で宣言する。その純度の高い表現のエネルギーが、観客の内側にある「抑圧してきた感情」に共鳴したのだと思います。
カウンセリングの現場でも、似たような瞬間に立ち会うことがあります。クライアントの方が「自分の弱さや生い立ちは隠すべき欠点だ」という認識を手放し、「これも自分を構成する、ユニークな私だけの要素の一つなんだ」と受け入れ始めたとき、その方の言葉や表情には、それまでとはまったく違う説得力と魅力が発揮されます。その人らしい温かみが宿り始めるんですね。
「自由とは、制約がないことではない」私はそう思っています。
「制約がある中でも、自らの主体性を失わないこと。自分の心の声に嘘をつかないこと。」、それこそが本当の自由です。自分で決めた音楽を、自分で選んだ表現で滑る。その「自律性」こそが、彼女の演技に命を吹き込んだのでしょう。
私たちの日常に活かす「人生の引き受け方」
アリサ・リュウ選手のような劇的な物語でなくても、私たちは自らの人生を通して、この「引き受ける」というテーマに直面しています。
「仕事だから仕方ない」
「親が期待しているから」
「今の社会ではこうするしかない」
こうした言葉が口癖になっているとき、私たちは気づかないうちに、人生のハンドルを誰か別の人に手渡してしまっています。すべての環境をすぐに変えることは難しいかもしれません。でも、意識の持ち方ひとつで、目の前の景色は変わり始めます。
「生まれや育ちも含めて、ずっと疎ましく感じてきた状況を、私の人生だと自ら引き受けることができたら、どんな世界が見えるだろう」
「今の環境、今の人間関係は、自分の魂を磨くために、あえて私が設定した舞台かもしれない」
そう捉え直してみることは、自分を「状況の犠牲者」から「人生の創造主」へと引き上げることになります。それは自分を責めるためではなく、自分自身に力を取り戻すための、魔法の呪文かもしれません。
おわりに
アリサ・リュウ選手の金メダルは、彼女が「自分自身の人生の、最高の味方」になったことへの祝福だったと思います。
彼女が歩んだ道は、私たちに静かに語りかけています。
たとえ一度心が折れたとしても、どれほど複雑な背景を背負っていたとしても、人はいつからでも「自分の物語」を書き直し、再び「自分の人生という舞台」に立つことができるのだと。
自分の足で立ち、自分の意志で滑り、自分の心で笑う。その姿こそが、何にも代えがたい「自由」の証です。
私たちが直面してきた「自分で決められなかったこと」も、いつかきっと「これを選んでよかった」と言える日が来る。彼女の金メダルの輝きを胸に、今日という一日を、自らの意志で引き受けて歩んでいきましょう。
この文章が、皆さんの心が少しでも軽くなるきっかけになれば幸いです。
もし「一人では抱えきれない」と感じたとき、カウンセリングルームの扉をどうぞ遠慮なく叩いてください。あなたのこれまでの歩みを「自分だけの物語」として編み直すための取り組みを、一緒に考えていきましょう。

