心理カウンセラーの近藤あきとしです。
いつもありがとうございます。
10月19日に【アメブロ】恋愛テクニックに掲載した記事をご紹介いたします。
●素直になれないツンデレな私をどうにかしたい~恥ずかしさが隠してしまった本来の私~
「大好きな人の前だと素直になれないんです。」
恋愛のカウンセリングをしていると伺うことが少なくないご相談です。
・職場で気になる彼から話しかけられたのに、忙しいふりをしてしまう。
・彼氏から「また晩御飯つくってよー」と頼まれたのが嬉しかったのに、「なんでいっつも私ばかりなのよー」と機嫌の悪いふりをしてしまう。
・夫が昨日のケンカの仲直りをしようとお気に入りのプリンを買ってきてくれたのに、「いつも同じプリンだけど、これさえ渡せば機嫌が良くなると思ってるの?」とケチをつけてしまう。
などなど、皆さんにも似たような体験があるのではないでしょうか?
嫌いな人や苦手な人に対してだったら素直になれなかったり、心を開けないのは当然と言えば当然。分かりやすいのですが、
なぜか私たちは大好きな人、もっと仲良くなりたい、今よりも深い関係になりたいと思っている相手に対して、素直になれなかったり、思っているのとは違う態度をとってしまうことがあります。
もっとも意識的にそうしているのではなくて、反射的に「ついやってしまう」んですよね。
そして後になって激しく後悔したり、悪い態度をとってしまった場面を何度も思い出しては、自己嫌悪と自己否定でしんどくなってしまうのです。
大好きな人と近づけるチャンスなのに、どうして素直になれず、意に反した態度をとってしまうのでしょうか?
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こうしたお悩みを抱えている人には大きく2つの理由があります。
1つ目の理由は「恥ずかしさ」で逃げたくなるから。
恥ずかしい気持ちが苦手すぎて、強がってしまうんです。人によっては上から目線になってしまったり、やたらクールな素振りをしてしまうこともあります。
そういう人に限って、周りから「偉そう」とか「愛想がない」と思われるのは平気だったりするのですが、
自分の中の「可愛らしさ」や「ピュアな部分」を周りから見られることには、思わず心が悲鳴をあげるくらいの恥ずかしさを感じてしまうんです。
なので好意を素直に受けとらない、悪態をつくなどの、本心とは反対の態度で恥ずかしさを誤魔化そうとしてしまうわけです。
とはいえ「嫌い」なわけではないんです。そこは「この気持ちを分かってほしい」とも思っているのですが、非常に分かりにくいので相手にちゃんと伝わることはあまり無いはずです。
「ツンデレ」になってしまうんですよね。
ただこれは「言わなくても分かってよね」という依存がベースにあるだけに、相手まかせで自分から表現していないためにどうしても本意が伝わりにくくなってしまうのです。
じつは恥ずかしさを感じている時というのは、セクシャリティが開いている時でもあるので、周りの目から見るとその人本来の魅力が自然と発揮されている状態なのですが、
そもそも「恥ずかしがり屋さん」にとっては、そんな自分が恥ずかしすぎて自己嫌悪が止まらなくなってしまいます。
※なお、ここで言うセクシャリティは性的な魅力だけでなく、その人のありのままの自然さや、生き生きとした魅力と考えてください。
しかしながら、その場から逃げ出したくなるくらい恥ずかしいとしたら、いったいどれほど自分のことを「良い存在ではない」と思っているのでしょうね?
どこか自分自身を否定する感覚があるぶんだけ、「本当の私は誰にも愛されないに決まってる。だから隠しておかないと!」という気持ちが常に隠し持ってしまいます。
どうでしょう、素直になりたくてもなれない理由がだんだん明らかになってきた感じがしませんか?
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2つ目の理由は、自己受容できない自分を誰かに受け止めてほしいから。
1つ目とも関わってくるのですが、恥ずかしがり屋さんは、可愛らしさや優しさを見られただけで逃げ出したくなるくらいの感受性を持っているわけですから、
本来とても繊細で純粋な心の持ち主ですし、そのうえ情に厚い、心根の優しい人が多いんです。
そして、その優しさと純粋さがゆえに、自分の中の攻撃心や不信感、意地の悪さや嫉妬心などを許せないんですね。
先ほどの「良い存在じゃない」と感じるのはこうした自己否定があるからなのですが、そんなネガティブな感情を自分で受けとめられないのです。
人間だれしも持ち合わせている感情ではあるのですが、ずっと心の中に抱えているのは苦しいので、できたら誰かに受けとめてほしいんですよね。
それが好きな人であり、一番分かってほしい人なので、当然パートナー、家族、親友などの親密な人たちになりやすいんです。
また自分のネガティブを受容できない人は、自分の魅力や長所も受け入れるのが苦手なことが多いのです。
自分の価値をとても低く見てしまうだけに、自分を好きになってくれた人がいたとしても「え、この人、私を好きになるなんてどうかしてるんじゃないの?」と、せっかくの相手からの好意をディスカウントしてまうことがよくあります。
結果、目の前に愛を差し出されても見過ごしてしまったり、相手の好意をサイズダウンして大したことないモノのように扱ってしまうのです。
本来の繊細さも優しさも、大切な人を愛するために発揮できたら、パートナーとの関係はとても幸せなものにできるはずなのですが、傷つくのが怖すぎて好きな人と親密になるのを避けてしまうのがつらいところです。
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どうして素直になれないの?という部分はかなり分かってきました。
じゃあどうすれば素直な私になれるの?という疑問に答えていきましょう。
1つ目の理由で「言わなくても分かってほしい」という思いは依存だとお話ししました。
恥ずかしがり屋さんは、幼少期に依存心を思う存分満たすことができずに成長した方が多くいます。
家庭の事情などで甘えることができなかったり、早く自立することを求められたため、子供らしい子供時代を過ごせなかったというお話はよく聞きます。
子供らしい依存心を無理やり抑え込んで、甘えたい気持ちも、叶えてほしい願いも、無かったことにしてずっと平気なフリを装ってきたとしたら、
誰も自分を分かってくれなかった悔しさも、愛してほしい相手に思うように愛してもらえなかった悲しみも、今もあなたの心の中で宙ぶらりんのままなのかもしれません。
ひょっとしたら、愛してくれなかった誰かに対する文句をたくさん心の押し入れにしまい込んだままなのかもしれません。
ノートを用意して、誰へのどんな文句があったのか?を書けるだけリストアップして、もう出し切ったというところまで心の押し入れを大掃除してみてください。
ただ、そんな誰かへの文句を自分が抱えていることが嫌だったりもします。本来の優しさがゆえに自己嫌悪してしまいそうになるんですよね。
どんな文句を抱えてきたのかを見直すのは大事なのですが、そこで終わらせないことはもっと大事なことです。
多くのクライアントの癒しの場に関わってきていつも感動するのは、どれだけ理不尽な経験があっても、誰かへの文句や恨みや怒りがあったとしても、「ただその誰かの笑顔が見たかった」という願いが根底にあることに気づかされることです。
文句の裏にある願いの方を丁寧に見つけていくと、「自分はあの人に『本当はどうあって欲しかったんだろう?』」と思っていたかに気づけます。
あんなに悲しくて悔しかったのは「本当はどうあって欲しかったんだろう?」
こんなに怒りや恨みを抱えてきたのは「本当はどうあって欲しかったんだろう?」
同じような願いに何度もたどり着くことに気づけるでしょう。それがあなたがいつも抱えていた願いなんです。
あなたが愛されたかったのは、その誰かを愛していたからですよね。
受けとめてほしかったのは、その誰かを信じていたからのはずです。
子供ながらに健気に愛を送っていた自分を思い出せたとしたら、そんな小さかった自分を愛おしく思えるのではないでしょうか?
あなたはいつも誰かのために一生懸命でした。自分よりも誰かを大切にしたいと願える人でした。
そんな想いを抱きしめながら人生の道を歩いてきたあなたを応援してくれた人たちは誰でしたか?
素直になれなくても受け入れてくれた人。悪態をついても許してくれた人は誰だったでしょうか?
まずはその人たちに、「あの時は恥ずかしくて、素直になれなくてごめんね」と、心の中で謝ってみましょう。
自分の気持ちを認めて受けとめることは、依存を抜け出すために必要なプロセスです。
ツンデレを卒業した先には、今度こそ大切な人との間に、本当に欲しかった「つながり」を手に入れられるあなたが待っていますからね。
※参考記事です↓こちらもどうぞ
※こちらは素直になれない男性心理の記事です↓
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。次回もお楽しみに。
それでは、皆さんが健康で、心穏やかに、いい時を過ごされますように。