いつもありがとうございます。
心理カウンセラーの近藤あきとしです。
いつも月初めと半ばにお知らせしているスケジュール情報をUPするのをすっかり忘れてました。
花粉症で頭がボーっとしていたからということにしておきましょう^^;スミマセン。
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『沈黙-サイレンス-』という映画(監督:マーティン・スコセッシ 原作:遠藤周作)を1ヶ月くらい前に観たのですが、作品から差し出されたテーマの重さと深遠さに、いまだに私の中では答えのない答えを探しているプロセスが続いています。
物語の舞台はキリシタン弾圧下の江戸時代初期、主人公のポルトガル人宣教師ロドリゴは潜伏キリシタンたちとともに役人に捕らえられ、幕府から棄教(踏み絵を受け入れるよう)を迫られる苦境に立たされます。
弾圧に屈せず信仰を貫くか、拷問を受ける信者を助けるため棄教するか、その葛藤と苦悩の中でロドリゴが一つの大きな決断をするまでを描いています。
あまり内容に踏み込むとネタバレになるので具体的な内容は話しませんが、劇場を出た後も『もし自分だったらどうしていたか・・・』という問いを考え続けてしまって、まさに「沈黙」せざるを得なかったですね。
「沈思黙考」とは、このことだと感じました(思考は沈黙の間にあるようです)。
映画の中に用意された答えはなく、逆に多くの問いを観る側に投げかけてくる作品でした。
それだけに、おそらく観る人それぞれの立場や価値感によって、受け取るテーマが違ってくるのでしょう。
私にとっては思い切りカウンセラー目線で観てしまったので(投影というやつですね)、
本当の意味で、目の前の人の「痛みに寄り添う」とは?「共に在る」とは?どういうことなのか?
という課題を突き付けられたような気がしています。
これは・・・そうそう簡単には答えは出せそうもないので、今後もクライアントさんとの関わりという実践の中で見つけていくより他なさそうです。
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それと、もう一つ映画を通して感じたことは、ひょっとしたら「沈黙の奥に言葉がある」のではないか?ということ。
幕府の追手たちから逃げながら、主人公ロドリゴが神に問いかける場面があります。
『なぜあなたは沈黙しているのですか?』
しかし表面的には何も語らずにいるようでも、じつは沈黙と言葉(語り)は背中合わせなのではないかと、私には感じられたんですね(ラスト近くではそれが良く分かります)。
なぜかと言うと、カウンセリングの場面ではクライアントさんが解決したい問題や悩みごとについて詳しく話してくれますが、時として、
『今聞いている内容よりも奥に「本当に語りたい言葉」があったり、目に見える口調・表情・動作よりも奥に「本当に感じていた感情(クライアント自身も気づいていないものもあります)」があるのではないか?』
と感じられる場面があるからです。
そんな時に私の方から『ひょっとして、こんな風に感じていませんでしたか?』と聞いてみると、クライアントさんが少し考えた後、
『もしかしたら・・・』、『ええ、じつは・・・』
という本命の感情に光をあてることができて、そこから本質的な課題に入っていける、ということは珍しくはないんですね。
ある種の職業的な勘と経験から得た感覚で、表層の奥にある「まだ語られていない言葉・感情」をピックアップすることを日常的に行っていることで、映画に対してもそう感じたように思えます。
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皆さんの無意識が語りかけてきている言葉が常にあって、本当は誰かに分かってほしいと願っている想いがそこにあるとしたら、その想いにいつでも繊細に気づける自分でいられたら、「沈黙に聴き入る」ことのできる自分になれたら、と願っています。
そうして、皆さんの魂の奥底にある囁きを聴きとり、想いに寄り添える喜びは、心の世界にたずさわる者への恩恵だということを、改めて思うきっかけになりました。
※以前Facebookでシェアした記事は、この映画を観たい気持ちを大きく後押ししてくれました。ぜひ皆さんも読んでみてください。
https://www.facebook.com/akitoshi.kondou.7/posts/817457098392480?ref=embed_post
それでは、今日があなたにとって素晴らしい日でありますように!
心理カウンセラー
近藤あきとし