前回の記事の中で、私たちは心が傷つく経験をすると、その痛みから自分を守る為に「~な自分だから愛されないんだ」という思い込みを作ってしまうのです。というお話をしました。
すると、感じていることと逆の行動を取ることで、自分の持つ過剰な意識(「本当は愛されたい」)を相手に悟られまいとしてしまうこともよくあります。
わざと相手を拒絶したり、嫌われるような素ぶりをしてしまい後悔したなんてこと。みなさん思い当たる節があるかもしれませんね。
・好意を持っている相手の前で興味の無い態度を取ってしまったり
・パートナーに甘えたいのに不機嫌なフリをしてしまったり
・情熱的な自分を隠してルールや常識を振りかざしてしまったりすることもその現れと言えます。
本当の自分の気持ちを偽ってしまうんですね。いつかこの気持ちが裏切られるに決まっている、だから最初から無いモノとして扱った方がまだマシだと考えてしまうからなんです。
そうすることで、自分にとって良いモノや幸せを手にすることよりも傷つかない人生を大切にしようとしてしまうのです。
そうしていれば確かに、大きな失敗や傷つくことは無くなるかもしれませんが、本当に欲しい幸せや、満たされた人生を生きることはできなくなることもあるでしょう。
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子供時代の辛い体験や、失恋、大切な人との別離、裏切りにあうなど、その痛みがあまりにも大きい場合には、もっと良いモノが手に入るチャンスを目の前にしても、それを受け入れることや次に進むことが怖いと感じることもあるのです。
「またあんな目にあったらどうしよう」そう感じる度に、恐れや喪失感などの心の痛みが襲ってくるので、目の前のチャンスや向き合うべき相手に踏み込めないと感じてしまうのです。
実はそう感じるのは、過去に「それだけ愛そうとした誰か」の存在があったからこそなのです。
その誰かとの関係で、傷ついたり失ったりした度合いだけ「もう二度とあんな目にはあいたくない」と思います。
すると新たな人間関係(特に男女関係で顕著ですが)を築こうとした時に、距離が縮まって親密感が高まりそうになったり、ハートがオープンになろうとすると、
「前も失敗したよね」
「信じたらまた傷つくんじゃないの?」
という、いわゆる悪魔のささやき(エゴの声ともいいます)が聞こえてくるなんてこともあるんです。
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こんな状況では、いつも私たちの前に1つの問いかけが現れているのです。
それは
「自分の痛みや恐れ、不安を大切に抱えて生きるのか?」
「それとも、自分の人生や周りの人たち、目の前のパートナーを信頼して生きるのか?」ということです。
そして、最大の問題はどちらを選ぶかではありません。
私たちが人生の悩みや誰かとの問題に悩んでいる時、それはこの2つの選択肢の前で、どちらも選ばずに立ち尽くしている時なんですね。
どちらも選ばないことが問題を問題たらしめているのです。
「暖かい家庭が築きたい、幸せで満ち足りた人生を生きたい、信じあい愛されあうパートナーシップが欲しい」
意識の上でそう思っていても、パートナーの行動に不安を感じて疑ったり、自分の不満を相手にぶつけてしまったり。
私たちは自分でも何をしようとして、何を手にしたいのか、感情が混乱したり衝突したりして、分からなくなることも良くあるのです。
また自己嫌悪や罪悪感があると、犠牲的に相手に尽くすように与えてしまうので、どこかで疲れて嫌になり、そこから相手に対する攻撃心が出てきてしまい、それまでの我慢も重なって、相手を責めたくなる気持ちがより強くなることもあるのです。
でもそれではお互いの関係はよくなるはずないですよね。
当たり前ですが自分や相手を責めるのではなく、自分を愛し相手を愛することが最も大切なことです。
それが分かっていながらできないと感じる時には、はじめに書いたように私たちは自分の心を偽っているのかもしれません。
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私たちを悩ませる問題には私たち自身の魅力・才能が関わっていると言われます。
大切な人を愛したい人、信じたい人が、愛してると感じられない、信頼を選べないからこそその悩みは重く、苦しみも大きくもなってしまうのです。
他人をどうでもいいと思っている人は、誰かとの関係では悩まないでしょうからね。
今この記事を読んでいるみなさんが、愛したい誰かとの関係で悩んでいるとしたら、また自己嫌悪が邪魔をして信頼を選べないことが苦しいと感じるなら、みなさんに本来備わっている魅力・才能とは「人を愛し、信頼すること」だということになります。
魅力や才能を使っている生き方はとても楽です。もともと備わっているモノなので、頑張りすぎなくても本来の能力をフルに使えます。
やりたいことがハッキリしているので余計なことに気を囚われることなく、目標にまっすぐ向き合えるのです。なにより欲しいものが手に入りやすいんですね。
逆に魅力や才能を使えていない生き方は、頑張ってもなかなか結果が出なかったり、やればやるほど苦しくなってしまうものです。
なぜなら、魅力や才能は私たちの心の中にある「本当の願い」を叶える為にあるからです。
そこにフォーカスせずに自分を誤魔化す偽りの目標や願いの為に力を使っても、決して満足できることはありません。
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やはり前回の記事の中で、以下のことをお話しました。
ただ、自己嫌悪が癒される時とは、同時に疑いが最も出てくる時でもあるのです。
疑いに心が囚われそうになると、パートナーや周りの人たちの言葉も振る舞いも、そして送られる愛情も偽物のように感じられてしまうんです。
ということは、疑いが出てきている時ほど、自己嫌悪を癒すチャンスが来ていると考えてみるとイイかも知れません。
誰かを目の前にして疑いがたくさん出てくる時、それはみなさんの自己嫌悪が癒され、痛みを手放して、大切な人とのつながりを心から感じられるチャンスが来ているのかもしれません。
それは、自分の痛みや不安よりも、目の前の相手を信頼する方を大切にすると選んで、心に深く決めること(コミットメント)ができた時に、私たちの痛みや間違ったネガティブな思い込みが、人を愛するという才能に変わっていくというチャンスでもあります。
私から最後にみなさんへ1つ問いかけを置いていこうと思いますので、どちらを選びたいか考えてみてくださいね。
みなさんが心の中心に置きたいと思っているのは、疑いでしょうか?
それとも信頼でしょうか?