前回(第21回)は癒着(母子癒着)についての記事を書きました。
母親が子供と自分の感情の境目が分からなくなり、子供の感じている感情を自分のものとして感じてしまったり、子供を一人の人間として認めることができずに自分自身と思って扱ってしまうことを、母子の間における心理的「癒着」としてお話をさせていただきました。
今回はどうして子供をそんな風にあつかってしまうのか?母親側の心理についての解説をしてみたいと思います。
母親自身に
・不安が強く自分に自信が無かったり
・自身の両親との関係に強くわだかまりを残していることがあったり
・親自身が自分のネガティブな感情に対して自分で責任を持つことができずにいると、
ついつい子供の状態、感情、幸不幸に自分の感情やあり方を映し出してしまうことが多くあります。
自らの不安感から子供に対して支配的になり、コントロールしようとしてしまいます。
ある意味、母親が自分のやり方を押し通すことで自分の欲求を満たそうとしているのです。
カウンセリングの中で、
「私がお母さんに何を言っても、まるで聞こえていないかのようにふるまわれてしまう。」
「母が私の言ったことを、勝手に自分に都合良く(子供にとっては都合悪く)言い替えて解釈するので、何を言われるか分からないから、何も話せなくなってしまう。」
というお話を聞くこともとても多いのです。
子供が自分の手の内から離れていくことを認めることができず、感情に寄り添えず、汲み取ることができずに、頭から否定する。
無視をすることが繰り返されてしまいがちになります。そして、子供の自発的な心をくじいてしまうことも少なくないんですね。
すると、子供にとっては母親の機嫌をとることが第一の関心事になっていきます。
結果、母親の気持ちが「主」で、子供の気持ちが「従」という感情の主従関係ができてしまうのです。
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多くの場合、母親の支配に気づき、やめてほしいということを伝えても、聞く耳を持たなかったり、分かったわ、というポーズを取るだけで、実際にはそれ以前と行動が全く変わらないことも良くあります。
それは上に書いたように、母親が自分のやり方を押し通すことで、自分の抱える満たされなかった欲求や不満を解消しようとしてしまうからなんですね。
母親自身の子供時代に、寂しさを抱えながら誰にも打ち明けられなかったり、助けてくれる人もいなくて我慢をしてきたり、自分の頑張りだけで何とか乗り越えてきたという人生経験を持っていたりすると、
「この子にだけは、寂しい思いをさせたくない」
という気持ちから、尽くしてかまい続けることでわが子を縛りつけてしまうんですね。
それは裏を返せば母親自身が、もう二度と寂しい思いをしたくない、という表れのようにも思えます。
しかし子供にとっては、したいことをする、自分で選んで決めるということは我儘にであり、それはいけないことであるとと感じてしまうようになります。
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また、子供からすると常に母親に対して
「私はお母さんに何もしてあげられていない」
という罪悪感を抱えるようにもなるんですね。
そして、自分本来の心からどんどん離れてしまい母親の感情を常に気にして、その意向に沿うように行動することを無意識のうちに選んでいくことが当たり前になり、正直な気持ちがどこにあるのかを見失ってしまうのです。
母親に限らず誰かと癒着しているというのは、たいていの場合、その相手は不幸な世界にどっぷり嵌まり込んでいるように見えます。
だから自分にとって嬉しいこと、幸せな状況をなかなか受け取ることが出来なくなっていくのです。
「私が離れていったら、あの人をもっと不幸にしてしまう。」
「自分一人が幸せになったら、あの人をそこに置き去りにして捨てていくような気がする。」
というような罪悪感を感じるのです。
まるで、かわいそうな人を見捨てて自分だけが良い思いをしてしまう気がするので、幸せになることから遠ざかっているほうが気持ちが落ち着いてしまう、気づくとそう感じていることもあるのです。
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罪悪感はさまざまな人生の罠を仕掛けてきますが、癒着はその代表的なものの1つと言えます。
それを解消するには、誰かが先にその状態から抜け出すことが最も大切なことなのです。
もしもあなたが癒着から抜け出そうと思うと、勇気を振り絞ろうとすると同時に不安と恐れも感じるかもしれません。
そして、そう感じるのは相手も同じなんですね。
だから先に抜け出そうとリーダーシップを発揮した人は相手や周りからの批判、抵抗、攻撃を受けることがよくあるのです。
それは、周りが感じる恐れをあなたに投影するからです。
でも、その批判の声を聞きながらも
「私はこの状態を抜け出す」
「私は自分の思う幸せの道を選んでいく」
「この癒着を切る!」
と決めて進んでいくことです。
すると、そこに幸せの道が開けてくるんですね。
あなたが自分の意思で、未来に向かって進んでいく姿を見た相手(や、周りの人)は、あなたの歩いた道をいつか「自分も選んでも良いのかもしれない」そう思える時が来るのです。
私たちが問題の泥沼に嵌って抜け出せないときには、最初の一人になるというリーダーシップを取ることに恐れを抱いているときかもしれません。
対象となる相手が障害を作っているコトもありますが、だからと言って、あなたが幸せにならない理由にはなりはしません。
自分がリーダーシップを発揮しない「やりたくない理由」はいくらでも出てくるものです。でも今日、もしそれらの理由を全て手放したとしたら、あなたの人生にどんなことが起こってしまうか想像してみてください。
そこにはあなたの欲しい物、やりたいコト、夢や希望や可能性が詰まっているはずです。
あなたの心を「やりたくない理由」と「本当にしたいこと」のどちらで一杯にしたいかをイメージしてみてくださいね。
次回も癒着についての記事をお送りしますね。