いつもありがとうございます。
心理カウンセラーの近藤あきとしです。
寂しさに振り回される恋愛——なぜ同じパターンを繰り返してしまうのか
前々回は、依存的な自分が抑えられなくなるというお話。

前回は、パートナーへの怒りに振り回されしまうというお話。

そして、それぞれパートナシップで問題が起きてしまうのはどうしてか?ということについて詳しくお伝えしましたね。
ブログを読んでカウンセリングに来られたお客さまからは、
「分かっているのに感情が抑えられなくて、気がつくと同じパターンになってしまうんですよね。」
という声を多く聞きました。
「分かっているのに感情が抑えられない」その理由
では、どうしてこんなにも自分自身の感情に振り回されてしまうのでしょうか?そして何度も同じことを繰り返してしまうのでしょうか?
それは私たちは、時として欲しくて欲しくてたまらないと願っているものが手に入ったとしても、どのくらい満たされたら満足できるのかが分からなくなってしまうからなんです。
「お腹が空きすぎて、どれだけ食べても足りない」心理
例えば、何日間もなにも食べてなくて、行き倒れになりそうなくらいお腹が空いている時にレストランに入ったら
「このメニューの端から端までの料理全部もってきて!」
と言いたくなってしまう気持ちになるって分かりますか?
でもテーブルの上が料理で溢れていても、せいぜい二人前も食べたらお腹いっぱいになってしまいますよね。
あまりにも飢餓状態が酷くなると、今どのくらい食べたらお腹が十分満たされるかが分からなくなってしまうんですよね。「これくらいでちょうどイイかな?」が判断できなくなってしまうんです。
そして、その上でお腹が空き過ぎたせいで、満腹を感じる神経が麻痺してしまったとしたら、どれだけ食べても満たされずに
「もっと、もっと欲しい。まだまだお腹いっぱいにならない。」
といつまでも食べ続けることになってしまいます。きっと胃に入らなくなったら吐いてでもまた食べようとしてしまうでしょうね。
愛情が欠乏すると、「孤独を感じたくない」「もっと愛されたい」に姿を変える
このお腹が減っている状態を、子供時代に「両親から愛されなかった」感覚、満たされなかった寂しさに置き換えて考えてみて欲しいのです。
「もう二度と寂しさを感じたくない。一人で孤独を感じたくない。好きな人に私の方を向いていて欲しい、ずっと愛していると言って欲しい。」
お腹がペコペコな状態と同じように、心が愛情の飢餓状態になっていたら、「愛されてる感覚・誰かといる安心感」がどれくらいで満たされるかが分からなくなってしまうんです。
仕事・お金・人間関係にも広がる“満たされなさの連鎖”
これがもし仕事だったら「もっと働かないと、もっと認められないと、もっと役に立たないと。」と思ってしまって倒れるまで働いてしまうかもしれませんし。
お金だったら「これじゃ足りない。もっともっとお金がないと不安が無くならない。」と思って、お金を貯めることばかりに執着してしまうかもしれません。
「足りない」感覚の正体——“愛されなかった”という思い込み
なぜ求めても求めても「足りない」感覚になってしまうかというと、意識が「私は愛されていなかった」という方をフォーカスしてしまうからなんですね。
だから私はカウンセリングでは、この「愛されていなかった」という視点を変えてみるサポートをするんです。
視点を変えると、人生にあった「愛の証」が見えてくる
「今までの人生で○○さんに愛を送ってくれた人って誰がいたでしょうか?」
「○○さんを大切に思ってくれた人たちの顔を思い出してもらって良いですか?」
「兄弟姉妹、親戚のおばさん、近所のおじさん、友だちや学校の先生、サークルの仲間・・・」
「その人たちの○○さんへの想いを感じてみてもらえますか?『幸せになってね』『笑顔でいて欲しいな』『あなたと一緒だと楽しいよ』『感謝しています』・・・」
「愛されていなかった」ではなく「愛を見失っていただけ」
「愛されていなかった」という感覚があるときというのは、じつは「愛を見失っている」状態だとも言えるからなんです。
だから「じつは愛されていたとしたら」という視点から人生を見つめ直してみると、見落としていたものに気づけることがあるからです。
愛を感じ取る“感度”という才能
もしかしたら「そんな人、誰もいないよ」って思ったかもしれません。それは当然なんですよね。
今まで一度もそんな見方をしたことが無かったとしたら、分からなくても無理もないことです。
ただ私のこれまでの経験上、強烈に寂しさを抱えてきた人や「愛されてこなかった」と感じている人って、じつは愛を感じるセンサーがとても繊細で敏感なことが多いんです。
何てことのない日常の中ある思いやりに気づけたり、誰かのちょっとした優しさに感動できてしまうんです。
例えそれが自分に対してではなかったとしても、人が人を大切に想う気持ちを細やかに感じられて、そこに美しさを見ることができる人だったりするんですよ。
なので、ちょっと難しいなと感じたとしても、ここは自分の才能を発掘していると思って、自分の心に問いかけ続けてみてもらいたいですね。
「愛してくれなかった親」への新しい見方
そんな愛の感度という才能に気づけると、今度は「愛してくれなかった」と感じている両親にも、「じつは愛があった」という見方ができるようになるんです。
ただ愛し方が不器用で、あなたが欲しいやり方では与えてくれなかったかもしれないだけで、「愛がなかったわけではない」ということが見えてきてしまうんですね。
不器用でも、確かにそこにあった愛を見つける
人は誰もが自分なりの愛し方を持っています。
あのお父さんが誰かに優しさをかける時って、どんな態度だったでしょうか?
あのお母さんが愛情を表現する時って、どんなやり方だったでしょうか?
その人なりの愛し方がある、ということが見えてきた時に両親がしてくれたことに気づくことができるんです。
「愛されていた」記憶を思い出すと、自己愛が育っていく
愛されていたんだ、ということに気づけると「愛される感覚・満たされる感覚」が少しずつ、あなたの心に育ってきます。
こうして、自分を愛してくれた人がいたことを思い出すことは、自分を大切にすることにつながります。
すると、自分の幸せにつながらないことをしそうになった時にちゃんと気づけるようになるんです。
そして、もう一度「私が欲しい幸せのために」どんな私でいたいのか、選び直すことができるようになれますからね。
あなたが本当に満たされて幸せなパートナシップを生きるために、いつも応援しています。
次回の記事はこちら↓

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最後まで読んでいただきましてありがとうございました。次回もお楽しみに。
それでは、今日があなたにとって素晴らしい日でありますように!
心理カウンセラー
近藤あきとし
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