前回の記事の中で、
「才能というのは、頑張らなくても当たり前に出来ることをいうんですね。」
とお伝えしました。
例えば、「素直な人」にとっては素直で正直でいることが当たり前なので、誰かに「素直だね」と褒められても感激するほどには喜ばないものではないでしょうか。
才能とは当たり前すぎて、かえって気づけないくらい自然で何の疑問もなく使えてしまうようなものだったりするのです。
今回は具体的なケースとして。私、近藤あきとしの場合はどんな当たり前が才能だったのかを、みなさんにご紹介していきたいと思います。
◇:—-:◇:—-:◇
私は会社員時代には、周りから「全然しゃべらないけど、つまらないの?」とか、「近藤さんがどういう人か良く分からない」とか、「なんかミステリアスだよね」(←すごく気を使ってくれた言い方ですね)なんて言われていました。
当時の私はとても陰気で落ち込みやすくて、自分に自信がなかったんです。
そのうえ極度の人見知りでしたので、仕事以外の会話が出来ずにいたので周りと親しくなれず、休憩や昼食の時などはどこにも居場所がありませんでした。
昔、上司に昼食の時に言われて覚えている言葉が「暗い顔してないで、昼飯くらい美味そうに食べたらどうだ」だったのですが、余程つまらなそうな顔をしていたのでしょうね。
表面上は平然とした顔で話を聞いていられたので、なんとなくどんな場でも浮かずに居ることが出来て、それなりに飲み会や遊びの誘いはあったんですね。
しかし、なにしろ自分からは話しかけられないので、誰とも仲良くできるはずもなく、人の中に居ながら孤独感を感じていることが多かった時代でした。
それが、うつ病を克服してカウンセラーになると、
「近藤さんに話を聴いてもらっていると、なぜか安心できます」とか、
「低くて優しい声にとっても癒されます」などと言ってもらえるようになり、
中には、
「路地裏の居酒屋のカウンターで愚痴を聴いてもらっている感じで落ち着く」
「親戚のオジサンと話してみるみたい」
なんて言われることもあったりします。
でも会社員当時とやっていることはほとんど変わらないのです。ある程度は相手に合わせて話を引き出すことを覚えたくらいで。
それなのに昔は「陰気、暗い」 今は「落ち着く、癒される」扱われ方がひっくり返ってしまったような気がしますね。
◇:—-:◇:—-:◇
どうしてなんだろうと良く考えてみたら、私はすでに平常運転が悩んでいる人と同じくらい、感情が低いあたりで安定しているんですね。
(声が低いのも、おそらくテンションが低いからという気がします。)
だから普段通りにしていれば、悩んでいる人の感情に合わせられるのです。
また私は昔からチョットしたことで落ち込んでしまうので、すぐ自己嫌悪が始まり、自分いじめへと繋がることが心の中で無意識に行われていました。
それが実は今もたいして変わってはいなくて、やっぱり何かあるとすぐにガックリとなって、いつの間にか自分を責めているんですね。
(今はしていることに気づけることと、自分を責めてしまったを「悪いこと」と裁いてしまうのを止めよう、と思えることが成長した点かなと思ってます)
だからこそクライアントの持つ自己嫌悪、自己否定の苦悩やその根深さ、また問題を抱えて悩んでいる時の出口の見えない重苦しい気持ちに、無意識のうちに共感できてしまうのかもしれません。
ものすごく頑張らなくても、自分の強みとして発揮できているんですね。
それまで、私の一番のコンプレックスだった、人と関わることへの苦手意識という「最も隠したかったもの」が、今は、カウンセリングでご相談を受ける時にクライアントとの繋がりを感じる為の「最も大切にしたいもの」になっています。
かつて、問題の陰に隠してきたものが才能として光輝くことで、暗闇だけと思っていた人生の見通しに、光が差し込んできた気がしました。
そして今では、その光を頼りにカウンセラーとして人と関っていく道を進むことが 私本来の生き方なんだと、実感できるのです。
◇:—-:◇:—-:◇
なにも、これは私だけの特別なケースではありません。
あなたの中にも才能は眠っていて、発見されるのをじっと待っているのかもしれないのです。
そのヒントとなるものが、一つには私が辿ったような自分の問題と向き合うことを通じて、その影にある才能に気づいていくというもの。
もう一つは、あなたの人生の中で、常について回っている課題のようなもの、それがヒントになるはずです。例えば、ずっと欲しかったけど誰も与えてくれなかったモノ、いつも自分に足りなかったと感じるモノがあったとしたら。
そういった渇望感を感じていた人ほど、そのジャンルで人を満たしてあげられる才能があるはずなんです。
そんな人生を通じて何故かいつも気になっているものが、あなたの才能の在り処を教えてくれるのかもしれませんよ。
【今日のエクササイズ】
こんなことを想像してみてくださいね。
「もしも、あなたの問題が全部解決されたとしたら、あなたはその時どんな人になっているでしょうか?」
もう少し細かくイメージするなら、その時のあなたはどんな表情でしょうか?
どんな態度でその場にいて、どんな服を着ていて、どんな立ち振る舞いで、どんな話し方で周りに語りかけているでしょう?
もし自分とは思えないような素晴らしい人がイメージされて出てきたとしたら、それがあなたの才能かもしれません。
素晴らしい人になる準備は出来てますか?